トガってトゲっていきましょう

あんまり気負わずにやりたい

変化の時期はつらいよねという話

不要な価値観をたくさん捨てて、もうこの生き方はおしまい、と決めたらどんどん目の前の世界が変わってゆきますよね。

 

例えば長く暮らしてきた魂の半身のような家族が突然引っ越しを決めたり近所が大規模な工事を突如始めて物理的に目の前の景色が変わっちゃったりして(展開が早すぎて目が回るつらみ。)

 

 

それはさておき

前に、厄年は役年、お役目が変わる年というのをネットで目にしたことがあったのですがこれは本当になるほどと思いました。

 

そういう人生の役割が変わる時期を、なんで人が厄年というようになったのかと考えたときに、人は一度心地いいと思う場所を手に入れたときそこから動きたくなくなるものだからかなと思いました。

 

ほとんどのものは変化をすっと受け入れていくので問題は起きないけれど、人の場合は変わる時期に来ているのに変わることを嫌がるから無理やり人生を動かされるために病気になったり怪我したりより揺さぶりの強い事象にあってしぶしぶ環境を変える羽目になっている気がして。転職なんかは特にそんな風に感じます。

(もちろん楽しくて仕事や、趣味をやり続けてる場合は全然続けていいと思います。現代人はやりたくないことを無理やり習慣としてやりつづけるところがあるのでそういう部分のお話です)

 

今までの人間は特に社会から『安定』みたいなものを推奨されてきているので変化しないことを美徳にして生きてるとなおさら、何でこんな目に…みたいな気持ちが強くなって思考が厄年だからだ!となりがちなのではと考えました。

 

人生のフェーズが変わるという意識があんまりなかったから、役が変わるとかそういうことがよくわからないために、ただただ起きる怒涛の環境の変化を厄と呼んだのではないか…とか想像したりします。

 

何が言いたいかってやっぱり、自分自身が「これもう潮時かな」とか「もう十分やったな」、「もうやりたくないな」みたいににふっと思ったときに以前まではどんなにスムーズで楽しかったことだとしてもさっさと手をひいちゃうのが一番厄を回避する方法ではないかな…という話で。

 

自分が怪我したり病気になったりして無理やり環境変えられる前に自分がさっさと環境を変えてしまえば厄年にならずお役年としてもっとスムーズに変化を楽しめるのではないかなと思ったのでした。

 

フットワークの軽い人は、他人から見たらもったいないと思えるような肩書や職業を「もうこれをやるのはおしまいかな」みたいな感じでぽんとやめて違うことにまた目をきらきらさせて始めたりしますけど、そういう人ってやっぱりちゃんとまた軌道にのって進んでいけてたり、どちらかと言えばさらにいいステージに進んでいたりとかして人生の障害が少ない気がするのです。

 

これからの時代まだまだ怒涛の変化が続きますが、そこで一番スムーズに波にのれるのはやはり自分の感覚を信じることかな…とそう思います。

 

ただ厄年にしても役年にしても変化は共通のものだと思うので

今までいた場所から違う場所に移るのは勇気もいるしそれだけで大変ではあるかもしれないけれど、『厄』よりは『役』で自分から上を向いて進んでいけたほうがいいよねというお話でした。

 

自分もなんていうか今環境の変化がすさまじいので(工事の影響で全然窓が開けられないのが一番つらい)

よりいいステージに進めるのだ、と信じて家族が引っ越すことも長期間の工事のあわただしさもなんとか乗り越えてゆこうと思います。ウッ…以上です。