トガってトゲっていきましょう

あんまり気負わずにやりたい

家が喜んでいる。

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またまたお久しぶりの記事です、今本当に漫画のほうに熱が注がれていて…というよりももともとは漫画を描いていただけ(卑下の気持ちでなく)の人間だったので当たり前と言えば当たり前なのですが。

 

昨日はお彼岸のお墓参りに行っていまして、家族そろって話をする機会ができてきょうだいで色々話してたのですがその中で妹から嬉しい言葉をもらいました。

 

「なんか家が喜んでいるような気がする。」

 

なんというか自分が褒められたかのようなものすごく嬉しい気持ちになりました。

 

というのも、少し前まで家に関して数年間はなかなか複雑な思いや状態で過ごしていた経緯があったからと言えます。

 

もともと実家に住んでいたのですが家族の死別から突然家の家事、というか家のことがどどっと自分に押しかかることになり、家庭を持ったこともないのに突然家庭を持つことになったような状態になりまして。

 

今思うと、もちろん自分の担うことはありましたがそこそこしょい込みすぎていたと感じる部分があり、自分がそこまで尽くす必要はない、と気づいたときからはかなり楽になっていましたが。

 

当時はかなり家に不満を持っていました。自分のことさえうまくいっていないのになぜ家のことを考えねばいけないのか、とか。今はやはり違う気持ちなのでこのような言いぐさがなんともお恥ずかしいのですが。

 

とにかくものが多い家でした。リビング台所洗面所。家族6人と1匹で住んでいたのでものがあったって不思議はないのですが、整理されてきれいに維持されていたものが管理していた人がいなくなり一気に家がくすんでいくようで。

 

しかし何が必要で必要でないのかが分からないのでどうしていいか分からず、数年は生活していく中でこれは不要のようだ、と少しずつものを捨てていく日々でした。

 

私自身は部屋が散らかっていることが嫌いなので自分の部屋のことは何とかしていましたがリビングなどの共用部の扱いはお手上げ状態でした。まず自分のものではないものがそこにある時点で自由に触ることができず、そんなところの掃除をやりたいとも思えず。

 

正直家の状態をぐちぐち語っていても何の解決にもならなかったというのは今身に染みて分かっています。家の状態が変わったのはほとんど自分の心の状態が変わったからだと感じているからです。

 

家への思い、家族への思い、それが自分のなかでとことん浄化され愛しいものに変わっていくにつれ家族は頼みもしないうちに持て余していたものを処分していきました。あるいは家電が壊れることによって流れできれいになっていく場所もいくつも生まれていって。

 

そもそも、沢山あったものに対しての気持ちもすごく変わりました。

 

始めは家族が亡くなり、自分の管理範囲が増えたのでごちゃごちゃしたものが目に入るたびに辟易し、どうしてよいか分からず苛々した気持ちを募らせていたのが、数年過ごしていくにつれてありがたかったという気持ちに変わりました。

 

よく考えると物が不足して困るということがなかったのです。家族が亡くなりどう過ごしていいか分からず混乱することはありましたが何を使えばいいのか、そういうものはすべて家にありました。生活するための基盤は常にあり、家族で生きるのに全然困らなかった。

 

そういうことに気づいたときに愛しさとありがたさで泣きました。

邪険にして申し訳なかった。こんなに助けられていたのに。

 

すると数日、また一か月もしないうちにたくさん家から不要なものが片付いていきました。処分に困っていたものを欲しい、という人がもらっていったり、弟の家具の入れ替えとともに不用品をついでにたくさん回収してもらえたり。

その後の弟の引っ越しでも持て余していた家具は引き取られていきました。

 

感謝をして手放す、という話がありますがまさにそのようなことが起きた感じでした。自分で判断の利くものはもともと処分していましたがそれ以外のものも一気に片付いたので家がすっきりし、自分が過ごす空間をきれいにしたいという思いがどんどん生まれました。

 

ここ最近の掃除熱はいわゆるそういったところから始まったのだろうと思います。あんなに億劫で嫌いだった掃除だったのに今では無意識で汚れやほこりをぬぐったりできるようになっていきました。

 

そしてここにきての、久しぶりに家に帰ってきた妹の言葉です。私は妹の口を借りて家から感謝の言葉をもらったような気持ちになりました。

 

自分がここ最近家に対して感じていた気持ちに家が応えてくれたような。自分が家を想っていたことに家は喜んでいたのだなと思うとなんだか胸熱です。

 

もちろん部屋自体、本当にきれいになったので家族から喜んでもらえたのですが、とにかく私はそれを聞いて嬉しかったのでした。

 

ここに至るまでに本当に私の心理的な部分が複雑に絡まっていたのでブログにひとつずつエピソードを綴るので精一杯ですが、それでも一側面ずつほぐしながら書き連ねていけたらと思います。

 

家族の死のショックは特に大きくて全然書けていなかったのですが、そのときのことも、いずれまた紹介できたらと思います。

 

とにかくお彼岸のお墓参りの日は、穏やかに過ごすことができて幸せでした。